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思えば安達は北条と同じく「全く無名のところから源頼朝に極めて近しい位置にあったことで歴史の表舞台に登場し、鎌倉幕府を実効支配することで隆盛を極め、最期は幕府の滅亡と運命を共にした」一族なんですよね鎌倉殿の13人のフレーズを借りればまさに「鎌倉あっての北条」「鎌倉あっての安達」その「鎌倉」が焼け落ちる時、彼らには他の居場所などなかったということですかね・・・
二階堂氏に至っては昭和に至っても、薩摩の二階堂氏から、二階堂進官房長官を輩出してるため、800年以上に渡り断続的ではあっても政治に関わってて凄まじい家柄。
その二階堂進の権力も田中角栄を源泉にしたもので、竹下登がクーデターを起こすと少数派閥の二階堂グループに堕してしまったのがなんとも皮肉。
自民党政治の本質は特権的支配層政治なので未だにそこから抜けられないという
京極氏「安達氏がやられたようだな」二階堂氏「奴は特権的支配層の中でも最弱」大江氏「たかが宿主と心中とは、寄生生物の面汚しよ・・・」
すごく単純な歴史の教科書的な見方だと、「鎌倉幕府末期は暴君・北条高時が悪政を敷いたことで人心を失い滅ぼされた」なんて話になるけど、もはや何一つ合っていないことが確定しているという・・・。
安達のインブリードが効きすぎてむしろ病弱。逃げ上手の若君の高時像が近いかも
骨粗鬆症の気管支不全みたいな高時から尊氏を晩年まで苦しめる時行が生まれる、生命の神秘よ
11:19北条氏が特権的支配層を半分占めていて凄まじいと思いつつ、北条一門としての連帯感はあまりなく、それぞれ独立した別家みたいな意識だったら、他の御家人と同じく正当性があまりないことになるんですかね。にしても、京極が末席でも一員になれた時期と経緯が知りたい。
10:43 「逃げ若」に「時政の子孫なんて腐るほどいる」みたいなセリフありましたね。
その辺の解釈が去年だと「どういうわけか女に不自由しない(権力を掴む前から3人目の妻なので天性の素質)オジサン」にw
諏訪氏も『御家人から御内人になった氏族』にカテゴライズされそうですよね。元は信濃の御家人だったものの木曾義仲の与党だった過去から冷遇されたために、御内人として躍進を図ったんじゃないかと考えてます。
一連の動画シリーズを拝見して思うこと。元寇から幕府滅亡までの期間は「誰も説明しない」ではなく「カオスすぎて誰も説明できない」だったのではないか
鎌倉時代末期は、戦国時代などと違って、サラリーマンの人事みたいな話がメインなので、当時の人もよくわからなかったのかも知れないですね。
個人的に安達時顕はもっと同情されていいと思う。霜月騒動で一族を滅ぼされて、地盤も失う。必死こいて鎌倉幕府内での地位を取り戻したら鎌倉幕府ごと滅亡してしまう。また、北条一族は太平記に散り際を美しく悲劇的に描かれているのに対し、東勝寺で自害したその他大勢的な扱いも悲しい。まあ非特権的支配層(北条氏でも無名の人たち)で自害した人たちはもっと同情されていいかもしれんが。
むかし「得宗専制から御内専制へ」という文章を見ましたが、支配層は得宗の家人という枠だけでは収まらなかったのですね。
スタート時点では「本来何の権威も血筋も裏付けもない北条家を守る・盛り立てる」一心だったものが、代を経るごとに「北条家は絶対的」「それを支える我らに役得があっても良いでしょ」となったものか。時宗はまだ自分は持っていない、という認識だったのでは。しかしてその死後の人々は何故絶対と思い込んでしまったのか。
近代はもとより現代ですら個人の血筋や権威に頼った政治が行われる国・地域があるわけで、鎌倉時代は当然現代よりも権威の重要性は高かったはずですが、それにも関わらず権威のまったくない一族が政治を牛耳っていた時期があるのは相当面白いですね〜
今の日本も吉田茂の門閥に支配されてるけどな岸田総理、鈴木財務相、麻生元総理w
14:33 京極さんは昔っから世渡り上手ですねぇ…
なんやかんやで江戸時代→明治時代と家が残ってますからね
道誉さんが活躍したからで、鎌倉時代の京極家は分家扱いだが(本家扱いは六角氏)。
鎌倉時代:評定衆家室町時代:四職戦国時代:織田、豊臣、徳川と縁戚江戸時代:外様大名だが一部が幕閣にすげーなこいつら
京極騒乱直前に爺・嫡・孫が短期間で死んだりと混乱はあったがむしろサイズダウンに成功して、粛清を免れたのかも...
安達氏は何なら得宗の血の約半分占めてるくらいだもんな。
動画UPおつかれさまでしたー。なんというか、納得感のある制度って大事なんすねぇ…次回も楽しみにしてます
「絶海の孤島の特殊な環境に過剰適応して特異な進化を遂げた珍獣であった」細川重男先生「鎌倉幕府の滅亡』より辛辣すぎて笑ったけど、ほんとこんな感じなんですよねwwwそして、次回いよいよ鎌倉幕府の終わりの始まり嘉元の乱ですか…!個人的に一番「わかんねぇ!」ってなってるところなんで楽しみにしてます!
大河ドラマ「太平記」の鎌倉炎上で北条高時、長崎円喜ら北条方が滅亡するシーンは今でも覚えていますね。歴史考証的にはアレなのかもしれませんが、時代劇としては素晴らしい出来だったと思います。
「美しい世」を目指した尊氏が骨肉相食む泥沼を這いずり、北条の滅びゆく姿の方が美しかったのは印象的でしたね。
@@naoki080808 高師直や足利直義の最期のシーンも印象的でしたね。ここまで鮮烈に記憶に残った大河はそうないと思います。
鎌倉幕府以降、日本式の封建制度は改良が続けられ、江戸幕府がその集大成だったのでしょうね。
霊夢、得宗よりもっと影が薄い存在がいるぞ・・征夷大将軍殿だ・・
親王の短期留学制度の話が何だって?
大仏が『おさらぎ』でちゃんと変換出来ることに感動したワイ氏、まだ沼の浅瀬にいることに気付く
『鞍馬天狗』などで知られる作家の大佛次郎氏がいますからね。今の人は「何?誰?」でしょうけど昭和前半期は国民的ともいえる有名作家でした。
在京守護と違ってお殿様としての仕事してないのに、土地から上がる利益だけ吸い上げていくって地元の人からしたら正に害悪では?
21:20 しくじり専制
寄生虫が、ダグラムを思いだしました
この寄生虫めが!(寄生虫めが…寄生虫めが…寄生虫めが…)
さらば~愛しき日々(粛清ラッシュ)よ~なお粛清自体が止まるわけではない
大江さんの子孫は、文官より、毛利初め後家人の家の方が有名だな。
御家人ファーストの理念ががが(なおそんな理念が最初からあったのかというと
『鎌倉政権得宗専制論』で細川先生が締めで、鎌倉幕府はミニ朝廷に成り下がったから滅びた、と言ってるやつですね。足利尊氏らが幕府を裏切るのも、動画内の安達氏のように幕府と心中して滅ぼされる前に自分から裏切って滅ぼしてやれ、って感じがします。
安達氏は同じ「虫ケラ」出身同士、北条氏のパートナーにふさわしい一族だ。1.名乗りの土地、苗字も持たぬ(藤九郎盛長)、卑しい出自、2.頼朝側近として大恩を受けながら、源頼家と比企能員を裏切り、北条氏と手を組み(後に外戚となる)鎌倉幕府を支配した、源頼家の安達に対する「奴隷」扱い、裏切った安達に対する怒りが史料に残ってしまっているほどだ、3.霜月騒動は実は北条得宗にとってもイレギュラーな出来事だったらしく、平禅門の乱後、完全復権している(北条氏が滅ぼしてきた他の御家人と扱いが異なる)。もちろん数代にわたって得宗外戚だったというのはあるにせよ、何か「運命共同体」のような、一族同士で「男色」関係のような、お互いにキ〇タマを握り合っているような関係に見える。
一部の有力な政治屋と秘書、ごく一部の文官で利害調整がなされていると考えたら現代日本にも当てはまるのではないかとも夢想。そのような研究があればこのチャンネルを見られている諸賢の皆さまに教えていただけると助かります
8:32 ライトな歴史好きな頃はそう思っていた時期がありました
「幕府は御家人の為の組織」それでいいと思うよ!
牛さんはよ戻ってこーーーい
18:04の字幕、数被官になってる、魔理沙は被官としかいってないのに
一瞬、鎌倉時代の病気の元の生き物的なやつかと思った
甲斐国じゃああるまいし
えーと、寄合って前漢の外戚である王氏や呂氏みたいなものかな。
+宦官かな。閉鎖的な人間関係を権力の源泉としている点で
二階堂氏で1番有名なのは二階堂盛義ではなかろうかw
ひょえーの人か。
昭和人としては二階堂進を連想しますね。一応は、総理大臣になったかもしれない人です。
大分に二階堂酒造という会社があり、美術館もあるようですね。二階堂氏に繋がっているかはわかりませんが。
二階堂ふみさんに一票
二階堂って吉四六が有名だよね 飲み屋で人気焼酎
次回ruclips.net/video/NLrpnxQMSBA/видео.htmlsi=gEhgAremI5kDqiG6
板東武者の、板東武者による、板東武者のための幕府
伊豆のおっさんたちの労基がモンゴル撃退できるくらいの全国政権になった結果
常任理事国くらいだからへーきへき>3%
十常侍に似てるかも
8:59 なんだろう、奈良時代を思い出す(実情に見合わない中央集権国家)
現代も鎌倉幕府状態なのでは🤔
動画を有難う御座います。本所一円地住人というと、公家や寺社の荘園に荘官を勤めるような武士(武装集団)と思ってしまいましたが、少し不正確でしようか。いわゆる「悪党」も含まれますでしようか。自ら運送業者(陸)を組織していたり、自ら海運業者(河川も)を営んだり、またはこういう運送業者や海運業者を支配したり(街道や海路や関所を抑えて)の武力集団のことは、本所一円地住人と呼ぶのでしようか。また、自ら武力を持ちながら商業を営んだりとか、といつた武装集団も居たように(たぶん)思いますが、これらは本所一円地住人とは呼べるでしようか。
鎌倉幕府の特権的支配層は、貴族化した武士達とも言えるかも。その頂点の得宗家は事実上の王家みたいな感じ。
ぜんぜん関係無い話で申し訳ないですが、今谷明先生が動画に出ていたのでシェアします。とても柔軟な先生で、謙虚で、素敵な学者&お爺さん(失礼)。まだまだお元気そうなので、また研究熱がでて余生を楽しんで欲しいです。ruclips.net/video/eom_L6daghc/видео.html
特権的支配層?議員や官僚とイメージが重なるんですけど!
11:27で北条氏の分家が画面に出てますが、金沢顕時、大仏宗宣など当時もそう呼ばれることがあつたでしようか? また、「金沢流」や「大仏流」や「極楽寺流」とか、「赤橋流」と、呼ばれることがあつたのでしようか? また、当時の鎌倉や京都ての記録(日記を含む)においても。気になるの『政村流』で、このような諱を直接に呼ぶような言い方は少しあり得ないように思い、なんとなく違和感があります。「☓☓流」というのは、明治以降か戦後での、歴史学での呼称でしようか?
何で他の家系は屋敷の場所や役職から来てるのに、政村の家系だけ政村流なんだろうな。屋敷の場所が他の家系と被ったか?。
@@戸田賢司 様コメントを有難う御座います。屋敷のある地帯の場所名が他の家と被ったのかもしれないですね。また、たった今、思いましたが、この家系は屋敷が転々と移つていたのかもしれないという推測も成り立つかもしれません。たとえば、金沢氏であれば、代々、とくに引越もせず、金沢殿と呼ばれうるような状態に至ったのかもしれませんが、政村の系統は都度都度で屋敷地に基づくような呼び方があつたとしても、しばしばの引越により呼び名が変わっていたのかもしれないと思いました。
足利とか武田とかと違って、北条家の皆さんは領地から取った名前を名乗らずに皆北条だから、区別のために⚪⚪流って付けてると思うが。平安時代の藤原氏も同様(鎌倉時代辺りからは、近衛とか九条とかが通称になったから、⚪⚪流は不要になる)。
室町幕府、地方分権を持ち上げたいのは好きにすればいいが、室町時代に対して、過去の日本人も、現代の日本人も、(鎌倉時代や江戸時代と異なり)「安定」、「平和」、「善政」の記憶がない、そんな評価を下したことがないのが、「歴史の審判」というやつだぜ。
後出しジャンケンとも言う
特権的支配層って今の自民党みたいやな
自由民主党は、誰のための政党か。
思えば安達は北条と同じく「全く無名のところから源頼朝に極めて近しい位置にあったことで歴史の表舞台に登場し、鎌倉幕府を実効支配することで隆盛を極め、最期は幕府の滅亡と運命を共にした」一族なんですよね
鎌倉殿の13人のフレーズを借りればまさに「鎌倉あっての北条」「鎌倉あっての安達」
その「鎌倉」が焼け落ちる時、彼らには他の居場所などなかったということですかね・・・
二階堂氏に至っては昭和に至っても、薩摩の二階堂氏から、二階堂進官房長官を輩出してるため、800年以上に渡り断続的ではあっても政治に関わってて凄まじい家柄。
その二階堂進の権力も田中角栄を源泉にしたもので、竹下登がクーデターを起こすと少数派閥の二階堂グループに堕してしまったのがなんとも皮肉。
自民党政治の本質は特権的支配層政治なので未だにそこから抜けられないという
京極氏「安達氏がやられたようだな」
二階堂氏「奴は特権的支配層の中でも最弱」
大江氏「たかが宿主と心中とは、寄生生物の面汚しよ・・・」
すごく単純な歴史の教科書的な見方だと、
「鎌倉幕府末期は暴君・北条高時が悪政を敷いたことで人心を失い滅ぼされた」
なんて話になるけど、もはや何一つ合っていないことが確定しているという・・・。
安達のインブリードが効きすぎてむしろ病弱。逃げ上手の若君の高時像が近いかも
骨粗鬆症の気管支不全みたいな高時から尊氏を晩年まで苦しめる時行が生まれる、生命の神秘よ
11:19
北条氏が特権的支配層を半分占めていて凄まじいと思いつつ、
北条一門としての連帯感はあまりなく、それぞれ独立した別家みたいな意識だったら、
他の御家人と同じく正当性があまりないことになるんですかね。
にしても、京極が末席でも一員になれた時期と経緯が知りたい。
10:43 「逃げ若」に「時政の子孫なんて腐るほどいる」みたいなセリフありましたね。
その辺の解釈が去年だと「どういうわけか女に不自由しない(権力を掴む前から3人目の妻なので天性の素質)オジサン」にw
諏訪氏も『御家人から御内人になった氏族』にカテゴライズされそうですよね。
元は信濃の御家人だったものの木曾義仲の与党だった過去から冷遇されたために、御内人として躍進を図ったんじゃないかと考えてます。
一連の動画シリーズを拝見して思うこと。元寇から幕府滅亡までの期間は「誰も説明しない」ではなく「カオスすぎて誰も説明できない」だったのではないか
鎌倉時代末期は、戦国時代などと違って、サラリーマンの人事みたいな話がメインなので、当時の人もよくわからなかったのかも知れないですね。
個人的に安達時顕はもっと同情されていいと思う。
霜月騒動で一族を滅ぼされて、地盤も失う。
必死こいて鎌倉幕府内での地位を取り戻したら鎌倉幕府ごと滅亡してしまう。
また、北条一族は太平記に散り際を美しく悲劇的に描かれているのに対し、東勝寺で自害したその他大勢的な扱いも悲しい。
まあ非特権的支配層(北条氏でも無名の人たち)で自害した人たちはもっと同情されていいかもしれんが。
むかし「得宗専制から御内専制へ」という文章を見ましたが、支配層は得宗の家人という枠だけでは収まらなかったのですね。
スタート時点では「本来何の権威も血筋も裏付けもない北条家を守る・盛り立てる」一心だったものが、代を経るごとに「北条家は絶対的」「それを支える我らに役得があっても良いでしょ」となったものか。時宗はまだ自分は持っていない、という認識だったのでは。しかしてその死後の人々は何故絶対と思い込んでしまったのか。
近代はもとより現代ですら個人の血筋や権威に頼った政治が行われる国・地域があるわけで、鎌倉時代は当然現代よりも権威の重要性は高かったはずですが、それにも関わらず権威のまったくない一族が政治を牛耳っていた時期があるのは相当面白いですね〜
今の日本も吉田茂の門閥に支配されてるけどな
岸田総理、鈴木財務相、麻生元総理w
14:33 京極さんは昔っから世渡り上手ですねぇ…
なんやかんやで江戸時代→明治時代と家が残ってますからね
道誉さんが活躍したからで、鎌倉時代の京極家は分家扱いだが(本家扱いは六角氏)。
鎌倉時代:評定衆家
室町時代:四職
戦国時代:織田、豊臣、徳川と縁戚
江戸時代:外様大名だが一部が幕閣に
すげーなこいつら
京極騒乱直前に爺・嫡・孫が短期間で死んだりと混乱はあったが
むしろサイズダウンに成功して、粛清を免れたのかも...
安達氏は何なら得宗の血の約半分占めてるくらいだもんな。
動画UPおつかれさまでしたー。
なんというか、納得感のある制度って大事なんすねぇ…
次回も楽しみにしてます
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辛辣すぎて笑ったけど、ほんとこんな感じなんですよねwww
そして、次回いよいよ鎌倉幕府の終わりの始まり嘉元の乱ですか…!個人的に一番「わかんねぇ!」ってなってるところなんで楽しみにしてます!
大河ドラマ「太平記」の鎌倉炎上で北条高時、長崎円喜ら北条方が滅亡するシーンは今でも覚えていますね。歴史考証的にはアレなのかもしれませんが、時代劇としては素晴らしい出来だったと思います。
「美しい世」を目指した尊氏が骨肉相食む泥沼を這いずり、北条の滅びゆく姿の方が美しかったのは印象的でしたね。
@@naoki080808 高師直や足利直義の最期のシーンも印象的でしたね。ここまで鮮烈に記憶に残った大河はそうないと思います。
鎌倉幕府以降、日本式の封建制度は改良が続けられ、江戸幕府がその集大成だったのでしょうね。
霊夢、得宗よりもっと影が薄い存在がいるぞ・・征夷大将軍殿だ・・
親王の短期留学制度の話が何だって?
大仏が『おさらぎ』でちゃんと変換出来ることに感動したワイ氏、まだ沼の浅瀬にいることに気付く
『鞍馬天狗』などで知られる作家の大佛次郎氏がいますからね。今の人は「何?誰?」でしょうけど昭和前半期は国民的ともいえる有名作家でした。
在京守護と違ってお殿様としての仕事してないのに、土地から上がる利益だけ吸い上げていくって地元の人からしたら正に害悪では?
21:20 しくじり専制
寄生虫が、ダグラムを思いだしました
この寄生虫めが!(寄生虫めが…寄生虫めが…寄生虫めが…)
さらば~愛しき日々(粛清ラッシュ)よ~
なお粛清自体が止まるわけではない
大江さんの子孫は、文官より、毛利初め後家人の家の方が有名だな。
御家人ファーストの理念ががが(なおそんな理念が最初からあったのかというと
『鎌倉政権得宗専制論』で細川先生が締めで、鎌倉幕府はミニ朝廷に成り下がったから滅びた、と言ってるやつですね。
足利尊氏らが幕府を裏切るのも、動画内の安達氏のように幕府と心中して滅ぼされる前に自分から裏切って滅ぼしてやれ、って感じがします。
安達氏は同じ「虫ケラ」出身同士、北条氏のパートナーにふさわしい一族だ。1.名乗りの土地、苗字も持たぬ(藤九郎盛長)、卑しい出自、2.頼朝側近として大恩を受けながら、源頼家と比企能員を裏切り、北条氏と手を組み(後に外戚となる)鎌倉幕府を支配した、源頼家の安達に対する「奴隷」扱い、裏切った安達に対する怒りが史料に残ってしまっているほどだ、3.霜月騒動は実は北条得宗にとってもイレギュラーな出来事だったらしく、平禅門の乱後、完全復権している(北条氏が滅ぼしてきた他の御家人と扱いが異なる)。もちろん数代にわたって得宗外戚だったというのはあるにせよ、何か「運命共同体」のような、一族同士で「男色」関係のような、お互いにキ〇タマを握り合っているような関係に見える。
一部の有力な政治屋と秘書、ごく一部の文官で利害調整がなされていると考えたら現代日本にも当てはまるのではないかとも夢想。そのような研究があればこのチャンネルを見られている諸賢の皆さまに教えていただけると助かります
8:32 ライトな歴史好きな頃はそう思っていた時期がありました
「幕府は御家人の為の組織」それでいいと思うよ!
牛さんはよ戻ってこーーーい
18:04の字幕、数被官になってる、魔理沙は被官としかいってないのに
一瞬、鎌倉時代の病気の元の生き物的なやつかと思った
甲斐国じゃああるまいし
えーと、寄合って前漢の外戚である王氏や呂氏みたいなものかな。
+宦官かな。閉鎖的な人間関係を権力の源泉としている点で
二階堂氏で1番有名なのは二階堂盛義ではなかろうかw
ひょえーの人か。
昭和人としては二階堂進を連想しますね。一応は、総理大臣になったかもしれない人です。
大分に二階堂酒造という会社があり、美術館もあるようですね。二階堂氏に繋がっているかはわかりませんが。
二階堂ふみさんに一票
二階堂って吉四六が有名だよね 飲み屋で人気焼酎
次回
ruclips.net/video/NLrpnxQMSBA/видео.htmlsi=gEhgAremI5kDqiG6
板東武者の、板東武者による、板東武者のための幕府
伊豆のおっさんたちの労基がモンゴル撃退できるくらいの全国政権になった結果
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十常侍に似てるかも
8:59 なんだろう、奈良時代を思い出す(実情に見合わない中央集権国家)
現代も鎌倉幕府状態なのでは🤔
動画を有難う御座います。
本所一円地住人というと、公家や寺社の荘園に荘官を勤めるような武士(武装集団)と思ってしまいましたが、少し不正確でしようか。いわゆる「悪党」も含まれますでしようか。
自ら運送業者(陸)を組織していたり、自ら海運業者(河川も)を営んだり、またはこういう運送業者や海運業者を支配したり(街道や海路や関所を抑えて)の武力集団のことは、本所一円地住人と呼ぶのでしようか。
また、自ら武力を持ちながら商業を営んだりとか、といつた武装集団も居たように(たぶん)思いますが、これらは本所一円地住人とは呼べるでしようか。
鎌倉幕府の特権的支配層は、貴族化した武士達とも言えるかも。
その頂点の得宗家は事実上の王家みたいな感じ。
ぜんぜん関係無い話で申し訳ないですが、今谷明先生が動画に出ていたのでシェアします。
とても柔軟な先生で、謙虚で、素敵な学者&お爺さん(失礼)。まだまだお元気そうなので、また研究熱がでて余生を楽しんで欲しいです。
ruclips.net/video/eom_L6daghc/видео.html
特権的支配層?
議員や官僚とイメージが重なるんですけど!
11:27で北条氏の分家が画面に出てますが、金沢顕時、大仏宗宣など当時もそう呼ばれることがあつたでしようか?
また、「金沢流」や「大仏流」や「極楽寺流」とか、「赤橋流」と、呼ばれることがあつたのでしようか? また、当時の鎌倉や京都ての記録(日記を含む)においても。
気になるの『政村流』で、このような諱を直接に呼ぶような言い方は少しあり得ないように思い、なんとなく違和感があります。「☓☓流」というのは、明治以降か戦後での、歴史学での呼称でしようか?
何で他の家系は屋敷の場所や役職から来てるのに、政村の家系だけ政村流なんだろうな。屋敷の場所が他の家系と被ったか?。
@@戸田賢司 様
コメントを有難う御座います。屋敷のある地帯の場所名が他の家と被ったのかもしれないですね。また、たった今、思いましたが、この家系は屋敷が転々と移つていたのかもしれないという推測も成り立つかもしれません。
たとえば、金沢氏であれば、代々、とくに引越もせず、金沢殿と呼ばれうるような状態に至ったのかもしれませんが、政村の系統は都度都度で屋敷地に基づくような呼び方があつたとしても、しばしばの引越により呼び名が変わっていたのかもしれないと思いました。
足利とか武田とかと違って、北条家の皆さんは領地から取った名前を名乗らずに皆北条だから、区別のために⚪⚪流って付けてると思うが。平安時代の藤原氏も同様(鎌倉時代辺りからは、近衛とか九条とかが通称になったから、⚪⚪流は不要になる)。
室町幕府、地方分権を持ち上げたいのは好きにすればいいが、室町時代に対して、過去の日本人も、現代の日本人も、(鎌倉時代や江戸時代と異なり)「安定」、「平和」、「善政」の記憶がない、そんな評価を下したことがないのが、「歴史の審判」というやつだぜ。
後出しジャンケンとも言う
特権的支配層って今の自民党みたいやな
自由民主党は、誰のための政党か。